2010年2月19日

ショーン・ホワイト

最近、話題の中心はやはりバンクーバーオリンピックだよね。その中でも話に出てくるのはショーン・ホワイト。いったいどんな人なのかな?


ショーン・ホワイトはアメリカのプロスノーボード、スケートボード選手。19歳でオリンピックに初出場してハーフパイプ競技で金メダルを獲得し(トリノオリンピック)、そして先日、バンクーバーオリンピックの同競技で金メダルを獲得したんだ。

スノーボードを始めたのは6歳のときで、母親が彼に合ったボードを探して問い合わせた先が、後に彼のスポンサーとなるスノーボードメーカーだったそうだよ。
そして、7歳でスノーボードのアマチュア大会のキッズ部門で優勝してから各地の大会に出場し、13歳のときにプロに転向したんだって。

それ以降、エクストリームスポーツという速さや高さ、危険さや華麗さなどの要素をもった分野の大会に出場して数々のメダルを獲得しているんだって。危険をともなった大会なので賞金は高額なんだとか。現在の推定年収は7億円を超えているそうだよ。

彼の持ち味は、やはりその卓越した技巧みたいだね。今回のオリンピックで注目を集めた、縦横に回転軸を変えながら3回転半する「ダブルマックツイスト」は、なんでも先月自身で開発したものなんだとか。

彼がボードの世界の最先端にいるのは、常に新しい技を追求する姿勢と並々ならぬ努力の結果なのだろうね。僕ももう少し仕事の効率を追求してみようかな...。

詳しくはコチラ→[あくなき開拓精神で連覇=ホワイト]

2010年2月17日

バンクーバーオリンピック

早いものでもう2月に入ったけれど、10日後には『バンクーバーオリンピック』が控えているよね。今回のオリンピックはどの競技に注目すればいいのかな...?


バンクーバーオリンピックとは、カナダで開かれる21回目の冬季オリンピックのこと。現地時間2010年2月12日~28日の間で行われるんだ。

今大会最大の特徴は開閉会式がBCプレイスタジアムという屋内施設で行われることだそうだよ。また、バンクーバーの人口は200万人と、冬季オリンピックの会場としては規模の大きな街なのだとか。

競技は全7競技86科目で、スキー(アルペン、クロスカントリー、ジャンプ、ノルディック複合、フリースタイル、スノーボード)、スケート(スピードスケート、ショートトラック、フィギュアスケート)、アイスホッケー、ボブスレー(ボブスレー、スケルトン)、バイアスロン、カーリング、リュージュとなっているよ。

その中でも注目なのは、スノーボードの上村愛子選手や、スピードスケートでは現役中学生の高木美帆選手、そしてフィギュアスケートでは浅田真央選手や安藤美姫選手に鈴木明子選手、怪我から復帰を果たした高橋大輔選手といったところはおさえておきたいね。

例年どおり中継はNHK、民放各局で見られるようだけれど、時差は17時間あるらしく、生中継の場合、放送は深夜~朝方になるみたいだよ。

前回トリノオリンピックではメダルが1個と、年々メダルへの道が遠のいている日本だけれど、応援して盛り上げていきたいね。ただ、時差は仕事に響くんだよね...。

詳しくはコチラ→[第21回オリンピック冬季競技大会]

2010年1月13日

魁皇

昨日、力士の『魁皇』が至上最多の幕内808勝を達成したそうだよ。でも、それってどれだけすごいことなのかな...?


魁皇とは、現在西大関の力士のこと。1972年生まれで、福岡県出身。本名は古賀博之と言うんだって。身長185センチ、体重173キロという大柄な力士で、その怪力を活かした相撲が持ち味なんだよ。

初土俵は1988年で、同期に曙や若貴兄弟がいる中で昇進を続け、93年に幕内力士となったんだ。

そもそも幕内とは、横綱・大関・関脇・小結・前頭のことを指し、これが全部で42人(以内)。その下に28人の十両、120人の幕下、三段目、序二段、序の口という階級があるんだよね。

上手投げや小手投げといった技を武器にして2000年に大関に昇進。以来9年間、大関として相撲をとり続けているんだ。

しかし、豪快な相撲スタイルが災いして年々怪我が増え、またメンタル面が弱いこともあり、横綱への昇進を逃しているんだよね。ただ、人気は日本人力士の中で一、二位を争うのだとか。

今回は幕内の勝ち星が808と、千代の富士を抜いて歴代1位になったのだけれど、通算勝利数は976と千代の富士の1045勝に次ぐ歴代2位。

また、大関の在位期間、その場所を負け越すと関脇に降格してしまうといういわゆる「角番」の回数がともに千代大海関に次ぐ記録らしいね。

現在37歳の魁皇。引退の危機を何度も乗り越えたそのアスリート魂を若い日本人力士に注入してもらいたいところだね。

詳しくはコチラ→[日本相撲協会公式サイト]

2009年12月 8日

タイガー・ウッズ

今朝ワイドショーで見たのだけれど、今『タイガー・ウッズ』がえらいことになってるみたいだね。次々に女性関係が暴露されて、何だかかわいそうになってくるよ...。


タイガー・ウッズとは、1975年生まれの天才プロゴルファー。グリーベレーの元将校という父親の影響で生後9ヶ月でゴルフをはじめ、8歳ですでに70台のハイスコアを出していたんだって。

大学はスタンフォードに進み、全米アマチュア選手権を3連覇。そのままプロに転向したみたいなんだ。

すごいのはここからで、プロになって1年も経たないうちに7つの大会で優勝、2000年にはゴルフ4大メジャーのうち、「全米オープン」「全英オープン」「全米プロゴルフ選手権」の3大会で優勝、残る「マスターズ」でも01年に優勝し、4大大会連続制覇を達成したんだよ。

その後もタイトルを次々に獲得し、現在「マズターズ4勝」「全米オープン3勝」「全英オープン3勝」「全米プロゴルフ選手権4勝」していて、すべてのメジャー大会で3勝以上しているので、トリプル・グランドスラムなんだって。

ただ、08年には膝の手術でほとんどの大会を欠場していたんだ。そのため09年はあまり成績が振るわず、10年こそは...といったタイミングで先の自動車事故。原因はタイガーの浮気による夫婦ゲンカで、現在その浮気相手が続々と登場...という大ピンチを迎えているそうだよ。

賞金王を獲った石川選手には、いつまでもクリーンでいてほしいね...。

詳しくはコチラ→[タイガー・ウッズのニュース:yahoo!ニュース]

2009年11月19日

池田勇太

最近、テレビのスポーツニューズで『池田勇太』という名前を聞くんだよね。石川遼選手と賞金王争いをしているらしいけれど、いったいどんな人なのかな?


池田勇太とは、1985年生まれのプロゴルファー。千葉県出身で、東北福祉大学のゴルフ部にいたんだって。

高校時代には日本ジュニア2連覇、世界ジュニアでも優勝するなど、早くから注目されていた選手なんだよね。

大学進学後は一時期不調だったらしいのだけれど、それでも数々のアマチュア大会で成績を残し、2007年にプロに転向。1年目にも関わらず賞金ランキング52位と、頭角をあらわしてきたんだよね。

今彼が注目されているのは石川遼選手との賞金王争いなのだけれど、ジャンボ尾崎こと尾崎将司選手の持つ26歳という最年少記録を、どちらが勝っても塗り替えるというところなんだ。

また、面白いのは二人の対照的なキャラクターで、礼儀正しくスタイリッシュな石川選手に比べ、池田選手は太いズボンにがに股歩きという昭和の香り漂う風貌で、インタビューもため口といった具合なんだ。

それだけでなく、ドライバーで飛ばす石川選手、安定したゴルフの池田選手と、プレイスタイルも対照的なんだよ。

現在、両者の賞金差はほとんどなく、3位の片山晋呉選手を大きく引き離しているのだけれど、ケガなどの影響で石川選手がやや優勢みたいだね。

それにしても、若き天才の対決って本当に画になるなぁ...。

詳しくはコチラ→[中国株:創業板取引開始、初日は暴騰、今後乱高下も=田代尚機]

2009年11月 9日

菊池雄星

昨日、携帯に号外ニュースが飛び込んできたのだけれど、大型新人と期待されている『菊池雄星』を西武ライオンズが獲得したんだって。この人、かなりの怪物投手なのだとか...。


菊池雄星(きくちゆうせい)とは、1991年生まれの高校3年生。岩手県の花巻東高校の生徒で、184cm84㎏という恵まれた体格を持った、左腕ピッチャーなんだよ。

高校1年生のときから甲子園に出場し、今年行われた夏の甲子園では甲子園歴代2位の球速155キロを記録したんだって。

その彼が今なぜ注目されているかというと、日本のみならず、米大リーグからも熱烈なスカウトが来ていたからなんだよね。

というのも、彼は球速だけでなく、常に140キロ台を出せるスタミナ、キレのある変化球、コーナーをついたコントロールと、球威と制球を兼ね備えた選手らしいんだ。

そのため、左腕の投手としては20年に一人の逸材とも言われていて、球界OBも絶賛。世間では松坂やダルビッシュといった投手と比べられているようだね。

今回は、本人の意向でまずは日本でプレーしていくことになったのだけれど、彼を獲得したのは西部ライオンズ。

メジャーリーグから城嶋も戻ってきたようだし、来年のプロ野球もなかなか見ものになりそうだね。

詳しくはコチラ→[菊池雄星は海を渡るべきか?]

2009年10月29日

ソーラーカーレース

カーレースといえば、F1やルマン24時間レースなどを思い浮かべるけれど、世界では『ソーラーカーレース』も行われているのだとか。しかも先日、東海大学がその大会で優勝したらしいんだよね。


ソーラーカーレースとは、ソーラーカーのみで行われるカーレースのこと。最も有名なのは「グローバル・グリーン・チャレンジ」という大会で、オーストラリアで開かれているものなんだ。

全行程3021キロで、オーストラリアの北端ダーウィンから、南端の都市アデレードまで、砂漠地帯を走破するんだよ。

レースにはいろいろなルールが設けられているのだけれど、車がソーラーカーであるため、レースの時間は8:00から17:00までと決められ、さらに交通ルールも厳守しなければならないんだ。

参加するのは世界各国の企業や大学で、最低2人~4人までのドライバーの登録が必要になるんだよね。

早ければ大体4日ほどでゴールするらしいけれど、勝つためのポイントとしては、効率のいい太陽光発電ができること、モーターの電力消費をおさえることなんだって。

この大会は1987年に初開催され、今回が10回目。世界17カ国、38チームが出場したレースだったんだ。東海大学が優勝し、日本としては96年のホンダのチーム以来2度目の優勝なのだとか。

石油の枯渇が叫ばれる中、こうしたテクノロジーの発展は不可欠なのだろうね。今後の発展をますます期待したいよ。

詳しくはコチラ→[グローバル・グリーン・チャレンジ:東海大学]

2009年9月24日

原辰徳

野球好きの同僚が興奮していたんだけれど、どうやら巨人のリーグ戦3連覇が達成されたそうだね。これは巨人が強くなった証だけれど、チームを導いた『原辰徳』監督っていったいどんな人なんだろう?


原辰徳とは、読売ジャイアンツの元選手で、現在は読売ジャイアンツ監督を務める男性。最近では2009のWBC日本代表の監督を務めたことが記憶に新しいよね。

原監督は、高校時代甲子園に出場し、「原フィーバー」を起こすほどの人気を見せて、ドラフト会議ではもちろん目玉の選手だったんだ。だけどプロ入りを拒否して進学。これはなんだか昨今のハンカチ王子を思い出すね。

大学卒業後、1980年のドラフト会議で巨人に1位指名で入団。このとき既に、長嶋茂雄に「できることなら(永久欠番になっている)僕の3を譲りたい」と言われるほどに実力を見込まれていたんだ。

プロ入り後も、周囲の期待に応え、原は新人王、打点王、9年連続20本塁打などとさまざまなタイトルを獲得し続け、巨人の四番を担ったんだ。

引退後は野球解説者となったんだけれど、長嶋監督にコーチとして招聘され、2001年に長嶋監督の後をついで巨人の監督に就任。

原監督は非スタメンの1番起用など大胆な選手起用が特徴的で、選手の実力以上の活躍を引き出すことに定評があって1年目からリーグ優勝という結果を出したんだ。

だけど2003年には松井秀喜などのメジャー行きや有力選手の怪我などが相次ぎ結果が残せなかったことと球団代表との確執が理由でいったん辞任。だけど2005年には再び監督として就任し、2007年、2008年、そして今年2009年とV9時代以来36年ぶりのリーグ3連覇を達成したんだ。

2007年、2008年と日本シリーズの優勝こそ逃したものの、今年こそは原巨人はやってくれるだろうと期待が高まっているみたいだね。さてさて、どうなることやら、楽しみだなあ。

詳しくはコチラ→[原辰徳オフィシャルサイト]

2009年8月17日

ウサイン・ボルト

お盆シーズン、帰省して家でテレビ...という人も多かったと思うけれど、僕は世界陸上に釘付けだったよ。特に『ウサイン・ボルト』の100m世界新にはしびれたけれど、どれだけすごいことだったのかな?


ウサイン・ボルトとは、ジャマイカ出身の陸上選手のこと。86年生まれの22歳、身長は196cmもあるんだよ。

通常、長身の人はスタートで加速がつきにくいため、短距離走では不利だと言われているのだけれど、彼の場合はスタート加速もよく、加えて中盤からの追い上げが半端ない速さなんだって。

ただ、昔は他の長身の選手達と同じように100mは苦手で、昨年までは200mの選手として活躍していたらしいんだよね。

今回は世界記録を保持していたアサファ・パウエルやタイソン・ゲイといった実力者がそろうレースで、ボルトのタイムは9秒58。世界記録を0.11秒を更新したのだけれど、予測されていたよりも40年早く打ち出されたとまで言われる大記録なんだ。

ちなみに、今年の世界陸上ではトラックの色がいつも見慣れた土色ではなく青になっているけれど、これには意味があるそうなんだよね。

というのも、青色の方が競技者の視点が安定したり、心理的にリラックス効果を得られたりという効果があるらしく、集中力が増すと言われているんだ。

肉体と技術の進化でどんどん縮まっていく記録...やっぱり記録更新というのはドラマがあるよね。日本人の活躍も見たいところだけどね...。

詳しくはコチラ→[世界陸上ベルリン]

2009年6月16日

三沢光晴

ここ数日、各メディアで大々的に報道されているけれど、先日プロレスラーの『三沢光晴』氏が試合中の事故で亡くなったそうだね。本当に、残念そしか言いようがないよ...。


三沢光晴とは、1962年生まれのプロレスラー。中学生の頃からプロレスラーを志していて、レスリング名門の足利高校に入学し、国体優勝までしたのだとか。

そんなエピソードからもわかるように、三沢氏には天性の運動神経があったようで、高校を卒業した81年全日本プロレスに入団し、半年も経たずにデビューしたんだよ。

そして間もなく海外へ遠征し、「2代目タイガーマスク」となって帰国。人気を集めるものの、マスクマンでは限界があると、再び三沢光晴として試合をはじめるんだ。

相手のいいところをすべて出しきって勝つという王道スタイルで、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田といった伝説のレスラー、小橋や川田といった同期のレスラーと数々の名勝負を残すんだよね。

しかし、99年に馬場氏の死去、鶴田氏の引退で全日本プロレスは混乱。オーナーとの対立などから三沢氏は2000年に「プロレスリングノア」を旗揚げし、独立を果たすんだ。

それまでタブーとされていた他団体との交流を行うなど、社長業のかたわらトップ選手としてリングに立ち続けたんだよ。

しかし、長年の闘いで体は満身創痍。また、経営者としての精神負担などが今回の事故につながったとも言われているね。

最後の最後までリングに立ち続けた彼の仕事人魂を、僕も見習わないといけない気がするよ。

いちファンとして、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

詳しくはコチラ→[三沢光晴の闘志(全日本プロレス時代)ご冥福をお祈りします。:Youtube]