清原和博
オリックスの清原和博選手が引退したよね。番長と呼ばれ、誰にでも知られている彼だけれども、どんな選手だったのか今一度その野球人生を振り返ってみよう。
清原和博とは、1986年に西武に入団して球界にデビューし、1997年には巨人に移籍、2006年からはオリックスで活躍した野球選手。数多くの日本記録を残して、10/1日のソフトバンクホークス戦を最後に23年間の現役生活に幕を下ろしたんだ。
高校時代はPL学園で桑田真澄とともに活躍し、全国から精鋭の集まるPL学園で1年生から4番に座り、エース桑田とともに甲子園に5季連続出場。2度の準優勝、2度の優勝を経験して、甲子園通算13本塁打、3年夏の決勝戦で2本の本塁打を打ち「甲子園は清原のためにあるのか」とまで言われたんだ。
そして西武に入団し、高卒新人では史上最多の31本の本塁打を放って新人本塁打記録の最多タイを記録。打率及び打点も同じく高卒新人の歴代最高記録で、新人王に選出されたんだ。1986年から1994年までで8度のリーグ優勝、6度の日本一を飾った西武の黄金時代に大いに貢献したんだよ。
その後巨人・長嶋茂雄監督の「僕の胸に飛び込んできなさい」と口説かれ、巨人に入団。そのキャラクターから番長と呼ばれ、松井らとともに多くのファンに愛されたんだ。
だけど99年ごろから故障が増え、退団の危機に陥ることもあったんだ。「泥水をもすする覚悟で精一杯プレーしたい」とコメントして、その時は事なきを得たんだけど、その後戦力外通告を受けてオリックスに移籍。
オリックスでは怪我をおしてプレーしつづけたんだけれども、10/1にソフトバンク戦で杉内投手のストレートを豪快に空振り三振して引退したんだ。
2000本安打、500本塁打、1500打点など多くの記録を残し、また人々の記憶に強く残った清原選手。23年間日本の野球界を盛り上げ続けてくれた彼に感謝したいね。






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